つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

国歌を聞いて分かったウクライナ人の気概

 プーチンにしたら、喜劇俳優を大統領などに選んでいるウクライナなど3日以内に制圧できるだろうと踏んでいたに相違ありません。でも、どっこい、この元喜劇俳優は祖国愛に満ち、首都キエフにとどまって、最後まで抵抗の姿勢を貫いている。プーチンにしたら予想外のことでありましょう。それで、今、ゼレンスキー大統領の支持率は9割を超えています。やはり、指導者は最後には「俺についてこい」と国民との連帯感を示し、腹を括らなければ駄目だということでしょう。前身が喜劇俳優であろうと、三流の西部劇役者であろうと関係ありません。

 それにしても、自分の仲間、陣営に引き入れたいと思う国がどうしてその対象国にあれだけ無慈悲になれるものか。もともと旧ソ連邦の同胞ではないか。ロシア人とウクライナ人とは親戚関係にある人が大勢いるでしょう。にもかかわらず、明らかに民間の居住アパートと見られる建物にロシアのミサイルだかロケット砲だかがボンボン撃ち込まれている。この寒い時期に家をなくした家族がどんな過ごし方ができるか、元同胞なら少しは思いやるべきでしょうが、元KGBプーチンにはそれがない。

 ロシアは三方向からウクライナに侵攻を始めたのは24日、今日で5日目です。残念ながら、クリミア半島に近い南部の各都市はすでにロシア軍の手に落ちたとされていますが、東部の都市ハリコフはいまだウクライナ政府軍が死守しているし、北部のベラルーシに近い首都キエフは「ロシア軍が郊外まで迫っている」という情報が流れてくるものの、市内の政府の建物が占拠されたという報道はありません。依然、激しい抵抗を続けているもようです。

 という状況を見て、下に掲げたウクライナの国歌を聞くと、そうかこの国の人民はそんな気概を持っていたのかとずんと胸に迫ってくるものがあります。やはり、自分たちの政治制度、社会、歴史文化に誇りを持つ国民は、その寄って立つべき祖国の領土を死守するというのは当たり前のこと。絶対に他国の支配を許してはならない。ましてや、野党政治を抹殺していかがわしい選挙しかできない、半独裁国のロシアなどの支配を受けてはならないと思うのは自然な感情でしょう。

 防衛戦争は正しい戦争です。瀬戸内寂聴は「戦争に良い戦争はない」と言ったけど、それは間違い。厳密には「良い侵略戦争はない」ということで、戦争全体を否定するのはおかしい。普段は普通の市民として生活していた人たちがひとたび他国の侵略を受けると、迷いなく立ち上がった今般のウクライナの人たちの行動は正しいし、敬意を表したい。本来、欧州各国は義勇兵を送ってもいいのでしょうが、今現在、ウクライナNATO未加盟であれば、それもかなわない。というより、欧州が連合して参戦すれば、第3次世界大戦にも発展しかねないですから。

 でも、ドイツは、戦車破壊に有効なロケットランチャーなどの兵器を提供するそうです。戦車を主力とするロシア軍側にもそれなりの侵略の”代価”を払ってもらわなければなりません。ロシア側は何も言っていないのですが、ウクライナ軍の発表では、ロシア側はすでに5000人近い死傷者を出し、捕虜も相当出ているらしい。あるロシア人捕虜は「われわれは演習の一環と思っていた」と話しています。それだけ士気は上がっていないということ。もともと侵略者に崇高な大義などないし、ましてや士気が上がるわけはありません。

 ロシア側は戦死者のことは隠すでしょうね。でも、やがて戦死者がロシア側に返ってくれば、周囲の人が気付き、多くの人が「指導者が起こしたバカな戦争で殺された」という空気が蔓延することでしょう。まあ、かつてのベトナム戦争時の米国もそうだったように、戦争が長引けば長引くほど国内に厭戦気分が出てきて、政府に圧力がかかります。逆に、ベトナムのベトコンでも証明されたように、侵略を受けた側はそれだけ士気が昂じるのです。

 ウクライナ国歌は何度聞いても、そのメロディと歌詞に感動して涙が出てくる。祖国はたれのものぞ、他でもない自由を愛するウクライナ人のものだ。日本も現状変更を目指す侵略者を許さないよう、ウクライナ人の気概と行動を肝に銘ずるべきでしょう。改めて、ウクライナに栄光あれ、ウクライナ人に勝利あれ。

 上の写真は、横浜みなとみらい地区にある遊園地コスモワールドの観覧車。

ウクライナ 国歌「ウクライナは滅びず(Ще не вмерла України)」 - YouTube