つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

チャットGPTは「AI人間」登場の前兆ツールか

 何年か前にスマホを買い替えた時にSiriという機能が付いていたので、言われた通りの指示でやってみたのです。機器に向かって「この近くにおいしいラーメン屋さんはありますか」などと呼びかけると、見事に近所のラーメン屋さんの一覧が出てきました。我々のような高齢者からすると、これだけでも動天驚地の感があるのですが、さらに最近、チャットGPTなる新たなシステムが出てくると、もう常識的な想像を超えており、新システムへの期待感どころか、むしろこの世はなんとおぞましいものを作ってしまったのかというある種の不安感さえ覚えてしまいます。

 チャットGPTは生成AIと言うそうで、我々の質問や要望に対し、自然の文体で回答が出てくるというのです。いや質問に答えるだけでなく、小説やまとまった論文も書けるというのですから驚き。小生は物書きの端くれで、文章を書いて毎月、幾ばくかの原稿料を稼いでいますし、小説執筆でも印税を得ています。という自らの立場から言えば、チャットGPTは我々の仕事を奪うもの、商売がたき、稼業の障害物とも言えるでしょう。将来的には確実に小生の仕事は奪われるでしょうから、困ったものが出てきたというのが正直な気持ちです。

 AIが高度化すれば、過去のデータを人間の頭よりかなり多く溜め込むことが可能です。これまで人間って経験が豊富だからAIに勝てると高を括っていたところがありましたが、よくよく考えれば、人間の頭が溜め込んだ経験など限りあるし、脳がさびついて記憶として蘇ってこなければ意味がない。その点、AIは膨大に覚えたデータを忘れることなく導き出すのですから、とてもかなわない。碁はどうか知りませんが、少なくとも将棋に限ってはすでにAIにかなわなくなっている。普段は人間同士がやるのだから、AIにかなわなくてもいいという考えもありますが、単純に機械に負けるというのはなんともやりきれない感じがします。

 毎日曜日、NHKテレビで将棋や囲碁の対局番組を見ていると、その画面の上の方にAIが判断した両対局者の優劣が出ます。終盤段階では小生でも明らかに優劣が分かる場合がありますが、中盤段階で突然48対52などのように若干一方に片寄る数字が出ることがあり、小生程度の棋力の者にはなぜなのか分かりづらい。その意味ではAI表示は面白いなとも思いつつも、素人には分からない段階で先入観を与えるサービスってどうかなとも思います。

 いずれにせよ、チャットGPTのように人間社会の仕事を奪いかねないようなシステムの普及は怖い。文筆業の人は確実に影響を受けます。教育関係の分野でも影響大でしょう。さらにAIが進んでいくと、本当に人間の脳に置き換わるような「AI人間」が出現することも考えられます。となると、将棋の例ではありませんが、AIがナマの人間の上をいき、人間を支配する可能性も出てくるのではないでしょうか。

 その昔、小生の子供のころ(1960年代)、「ミステリーゾーン」という米テレビドラマがあり、日本でも放映されていました。小生は大ファンで毎週見ていましたが、この中で今でも忘れられないシーンがあります。横暴な企業経営者がいつも腰の懐中時計か何かのチェーンを回しながら従業員や機械をこき使っていたのですが、ある日AI人間がナマの人間より優位に立ち、ナマの人間を支配するようになる。すると、ロボットのAI人間が腰のチェーンを回しながら、最後に件の企業経営者をこき使うという落ちが付いていました。

 これは今から60年も前の番組ですが、先見の明があったように思います。このままAIの世界が伸展していくと確実にこのミステリーゾーンが現実の世界で再現されそうです。そうなった世界など面白くないし、そんな世界に長く住みたいとも思わない。で、今、欧米では、これ以上のAIの進展は人間社会に幸福をもたらさないとばかりに規制にかかっているそうです。小生は大賛成ですが、AIも核兵器と同じで、いったん造られたものをチャラにするのはそう簡単でないように思います。

 上の写真はピンタレストからの写真。ゴールデンレトリバーは賢いし、感情もある。残念ながら、AI人間は感情がないから、合理性追求だけのいやな社会になるだけです。