つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

マウイ島火災、自然を舐めてはいかんとしみじみ

 ハワイ・マウイ島の山火事は100人以上が死亡する大惨事になってしまいました。この惨事は今後のハワイ観光業に大きな影響があるでしょうから、残念でなりません。実は、小生もハワイ好きで、香港時代仲良かった友人夫妻と5回ほど行ったことがあり、4島全部に足を踏み入れています。ただ、小生自身は、マウイ島に行った時の記憶があまりない。4000メートルを超す高い山があり、そこで寒い思いをしたこと、冬の時期だったので海の水が冷たかったことだけは記憶しているのですが、実際にどこのホテルに泊まったか、何を食べたかはまったく覚えていないのです。

 内人に聞くと、滞在したホテルはカフルイ空港から島東部の海岸線を行ったところにある3棟並んだ米系のホテルだそうです。ですから、今回最大の悲劇となった中心地のラハイナとは逆方向、かなり離れたところです。実際、我々はこの時、ラハイナには行っていないので、小生の記憶にもラハイナという町の姿がまったく浮かんできません。だから、町全体が焼失したと聞かされても、イメージが湧きません。

 で、小生は記憶がないのですが、内人の話では、マウイ島でバスに乗っていた時に、山の方角に火事の様子が見えたというのです。内人は驚き、ガイドに「あれ、山火事ですね」と聞くと、ガイドは平然とした顔で「そうです」と答えたとのこと。マウイではよく起きる現象のようで、ガイドも驚かないんですね。彼らは、山火事があっても、街までは来ない。あれは山だけの現象で、我々には関係ないという意識のようなのです。普段の山火事は恐らくそういう状況なんでしょうね。

 でも今回は東側にハリケーンが通過したために、強風が吹いていた。状況はいつものケースと違っていたんですが、住民は「毎度のことで、我々の居住地には来ない」と判断し、高を括っていたものと見られます。でも、世の中には上り坂、下り坂のほかに「まさか」という”さか”もあり、予想外のことを引き起こすものです。普段の(嘘の)掛け声に慣れた住民が恐怖感を持たなかったという点では、なんだかイソップ物語オオカミ少年のケースと似ています。慣れというのは心の油断を生みやすいのです。

 昔、小生が住んでいた香港でも乾期(日本の秋から冬にかけて)に雨がほとんど降らないため、大地は乾燥、自然発火して高原の雑草、灌木が広く燃えることがありました。これも日常茶飯事で、香港人はそれほど驚きません。それどころか、山火事によって雑草が燃やされ、そのあとの灰が肥料になると言って、却って喜んでいたほどでした。焼き畑農業の発想です。でも、自然を舐めるとしっぺ返しを食らうもの。小生が滞在していた時に、近くで山火事がある中、小学生がハイキングし、火災に巻き込まれ、10人ほどが焼死したことがありました。

 小生らもハイキング好きだったので、その後、八達嶺というハイキングコースにあるその焼死現場に何度か行ったことがありました。小学生が死亡したところは急坂でちょっとした崖があり、火に追われた子供たちがこの岩場を登るのは大変だったろうなという印象を持ちました。風がなければ火が迫るスピードはそれほどでもないので、いくらでも逃げられるのですが、風があって火の勢いが強い、前途に障害があれば行く手を阻まれ、慌てるなどのケースがある。引率者の先生方はそこまで想定していたか、はなはだ疑問です。

 言えることは、オオカミ少年の教訓のように、危険の兆候を感じたのにあくまで普段の判断で行動してしまうことの危うさ、こんなこともあり得ると最悪の状態を考えて行動することの必要性なんでしょうか。毎年夏、数多くの水の事故を見ると、人間、どうも安全感の方になびき、リスクを軽んじる方向にあるように思います。要は、自然を舐めてはいかんということでしょうか。

 上の写真は、毎年見事に咲く野毛・長者橋近くの百日紅。下の方は、3月に与那国島を訪れた時に寄った駐屯地前。これも、備えあれば憂いなし。