つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

日本には、読みにくい地名、苗字が多すぎる

 今さらながらしみじみ思うに、日本人の苗字、地名の読み方って本当に難しいです。よくある苗字に「長谷川」というのがあり、小中学校、高校にもこの名の友人がいました。で、なんで「はせがわ」などという読み方になるんだろう、なんで「ながたにがわ」ではないのか、とずっと考えていました。同様に「服部」という苗字。先入観なく最初に見れば「ふくべ」「ふくぶ」と読むのが”常識”でしょう。それなのに、例えば日本人が成人になって服部の姓を見て、「はっとり」と読めないとしたら、笑われるでしょう。有名な銀座の時計店もあることだし。

 ネットの解説によれば、奈良に初瀬山というところがあり、その山の中腹に寺があったとか。初瀬はもちろん「はつせ」の発音ですが、その後に「はっせ」となり、最後に「はせ」と変化した。そのはせ川の中ほどにある長谷寺は当初「ちょうこくじ」と呼ばれていたが、はせ川のそばにあるので「はせでら」と呼ばれたそうな。長谷を「はせ」という呼び方にしたのはそれが起源とか。服部は見ての通り服を作るところの意味で、もともと大和朝廷の時代の「はたおりべ」に由来するとか。それが「はとりべ」となり、最後に「はっとり」へと変化したようです。

 起源はどうであれ、随分無理のある読み方です。地名はもっと複雑で、いまだになぜこんな読み方をするのだろうという地名は日本中にあります。生粋の関東人たる小生から見ると、関西の地名は特に分かりにくい。例えば「浪速区」。どう考えても初見では「ろうそくく」と読んでしまいます。でも、「なにわく」と知ってつらつら考えると、「浪速」の訓読みは「なみはや」だから縮めて「なにわ」になったのだろうと想像が付きます。でも「枚方」を「ひらかた」と読むのはどうしても分からない。関東人からすれば、「まいかた」としか読めない。

 小生の生まれ故郷である千葉県にも「我孫子」という地名があります。この地は常磐線の沿線で茨城県近くにあり、総武線沿線にいた小生からすると方向違いの遠いところで、馴染みがない。それで「あびこ」でなく、ずっと「がそんこ」と読んでいました。今でも半分冗談で「がそんこ」「がそんし」で通しています。落花生とスイカ生産で有名な「八街」も一見「やちまた」とは読めません。どう見ても「や(つ)がい」「はちまち」です。ただ小生は正しい読み方は小さいころから知っていました。千葉市内の自宅に八街から自転車で野菜を売りに来るおじさんがいて、小生の家の廊下で持参した弁当を食べていたからです。

 かつて住んだことがある山形県にもへんな地名がありました。山形駅から寒河江方向に向かって走る鉄道は「左沢線」ですが、関東人の小生からすれば「さざわせん」としか読めません。実は「あてらざわせん」と聞いてびっくり。寒河江自体も「かんかこう」でも「さむかわえ」でもなく「さがえ」です。鶴岡市には「五十川」という地名がありますが、これは「いらがわ」、庄内町の「余目」は「あまるめ」と読みます。「あまるめ」は想像が付きますが、「いらがわ」は分かりません。飯豊山も「はんほうさん」でも「めしゆたかやま」「いいとよさん」でもなく「いいでさん」と読みます。

 人の苗字や地名は経験的に知るものであり、必ずしも読み方を知らないことがその人の教養度を示すものとは思われません。が、知らないとなんとなく気まずい思いをすることは否めません。一回聞いて何度も間違えたりすると相手に不快感を与えてしまうことも事実です。聞いたことは忘れないというのは鉄則でしょうね。親しい友人であればなおさら。その点、中国語は原則一字一音。「日暮」は日本語で「ひぼ」「にっぽ」「ひぐれ」「ひぐらし」などさまざまな読み方がありますが、中国語なら「リム(rimu)」で済みます。

 上の写真は、福島県吾妻山系の一切経山に登った時の仲間たち。上の方の写真では遠くに会津磐梯山が見えます。