つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

インドがバーラトなら日本もニッポンとすべき

 ほとんど知られていないことですが、9月にニューデリーで開かれたG20の首脳会議で、モディ首相が座った前に出された国名が「バーラト」となっていたらしいです。この国名はもちろん自国語、すなわちヒンディー語から来たものと思われます。「インド」というのは恐らくオランダ人あるいは英国人らの西洋人が付けた国名であり、ある意味、その言葉を使っているのは植民地時代を思い出させ、屈辱的なことなのです。ご存じのようにセイロン紅茶で有名はスリランカも昔、「セイロン」と呼ばれていましたが、早い段階で現地語呼びにしました。インドもこれに倣ったものと見られます。

 南米カリブ海に今でも、「西インド諸島」という地名があります。小生は昔から不思議な感じを持っていました。15世紀末、インドを目指していたコロンブスが航海に出て、大西洋回りの先で陸地に到着したので、この地をインドと認識。近くの大陸を「インド」とし、到着した島を「西インド」などという怪しげな地名を付けたようです。また、大陸に住む原住民をインドの人間と錯覚して「インディアン」と呼んだようです。

 随分荒っぽい命名ですが、当時の西洋人からすれば、欧州以外の地などその程度の認識だったのでしょう。周知のように、歴史上コロンブスはこの航海で米国大陸を「発見した」のです。われわれが中学、高校時代には、歴史教科書で「発見」とされていましたが、米国の原住民からすれば、「発見される」とは随分乱暴な言い方です。そこで昨今の教科書には「コロンブスの米国大陸到達」という言い方が普通だとか。それはともかく、この件で驚かされるのは、欧州人は米国を「発見」する前に、すでに西洋では遥か東方にインドがあることを広く認識していたということです。

 インド人民党政府とモディ首相が、それほど有名な「インド」という国名を変えたがっていることに新鮮な驚きを感じました。英国の植民地としてはスリランカに加えて、ビルマも「ミャンマー」、ローデシアも「ジンバブエ」と変わりました。南米でもいくつかの地名、国名が植民地時代とは違ったものになっているようです。他国の言語で地名、国名を付けられるというのは実に屈辱的なことであり、モディが国名変更にこだわっていることは十分理解できます。

 という視点でものを言えば、日本がいつまでも国際的に「ジャパン」でいいのか。世界的にあまりにも有名になった国名を今さら変えてなんになるという反対論もあるでしょうが、小生は日本も明確に日本語で「ニッポン」と名乗るべきだと思います。一時、オリンピックなどでユニフォームの胸の国名を「ニッポン」にしたことがありましたが、多くは元に戻しているようです。

 第二次大戦時、米国は日本を侮蔑する言葉として「ジャップ」などと言っていました。こんな言葉を生んだような国名は捨てるべきです。国名は主権に関わることであり、自国語で表現するのが正しい。また、そこから民族の誇りが生まれると思います。インドが「バーラト」になるのなら、日本だって「ニッポン」と宣言すべきです。遅すぎるということはない。現にスリランカだってミャンマーだって、今では世界的に立派に通用しているではないですか。

 上の写真は最近の東北旅行で訪れた岩手県の観光地「龍泉洞」でのスナップ。ライトアップされた地底湖は限りなく透明なライトブルー。なかなか神秘的で、十分見る価値がありました。その周辺はすでに紅葉の森になっていました。