つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

検察が派閥裏金問題を追及するのは遺恨?!

 東京地検が裏金問題で自民党安倍派、二階派の事務所を家宅捜索しました。事実上、強制捜査に踏み切るぞというシグナルだと思います。小生は今日、ある忘年会に出席しましたが、この問題が話題になりました。なんで今、自民党、しかも派閥を狙い撃ちにするのか。さまざまな議論が交わされましたが、小生は、理由は2つあると見ています。一つは8年間政権を担ってきた安倍氏がその力に任せて検察機構にまで手を突っ込んだこと。さらには安倍派の派閥の大きさがある意味権力の壟断を生んだことが危険視され、何らかの力が動いたのかも知れない。いわゆる”神の見えざる手”が働いたということです。

 8年間も政権を担当すれば、驕りは生まれます。英国学者ジョン・アクトンじゃないが「権力は腐敗する」。殊の外、安倍氏本人はそういう雰囲気を見せなかったけど、やはり長期政権での権力集中、そしてなにがしかの過剰な権力壟断があったのだと思います。その一つの例は、安倍氏が検察内の人事に手を突っ込んだこと。日本の役所というのは本来、その役所の官僚が切磋琢磨して能力、技量を競い合い、そして一人去り、2人去りして優秀な人が残り、そのトップに就くのが習いです。

 官僚同士は仲間の能力、人格を評価し、「あの人が将来この役所を担うのは当然だ」と思うことで諦めが生まれ、人事が進み、ヒエラルキーが出来上がるのです。でも、内閣人事局という組織ができ、時の政権、つまり政治家がすべての役所の人事に介入し始めたのです。ということは何を意味するか。政治家が介入することで旧来の役所の人事システムが壊れてしまったのです。役人にとって最大の関心事は人事。そこに手を突っ込まれるのは面白くないし、壟断する政治家を恨みます。

 で、安倍政権はどういう突っ込み方をしたのか。役所内で暗黙の了解で決まっていた法務省内人事に介入して、自らに都合の良い人をその地位に就けたのです。具体的に名前は挙げませんが、推し込まれてなった方はのちに、記者とかけマージャンをやったことを暴露され、大恥をかきました。このタレコミも恐らく役所内から出たものでしょう。政治家に乗せられ、ヒエラルキーを無視して勝手に地位に就いた同人が恨みを買った結果だと思われます。

 役所は、この”異例人事”を強行した安倍政権への恨みも消し去れなかった。安倍氏が政権を離れても最大派閥があるうちは手が出せなかったが、安倍氏が亡くなり、安倍派が決定的な領袖を失ったので、それを奇貨として報復に出たものと思われます。現在の安倍派は複数の幹部が並立して、どんぐりの背比べ状態。つまり、決定的な力を持つ後継者がいないので、検察も着手しやすかったのでしょう。

 もう一つの”神の手”の話。かつて田中角栄首相は「派閥は大きくなりすぎてもダメ」、安倍氏も「100人を超えるのはまずい」と言っていたそうな。その言の根拠は分かりませんが、確かに、1980年代の田中派、その後継の竹下派も国会議員が100人以上いたことがあったのです。その後に何があったかというと、角栄氏はロッキード事件で逮捕され、竹下登氏もリクルート事件に巻き込まれました。大人数の派閥で権力を壟断すると、不思議なことに必ず大きな事件が起きるのです。現在、安倍派は100人近い数を誇っているので、やはりという感じです。

 「ロッキード」は米国での議会証言から始まった事件、「リクルート」の発端はメディアの調査報道から出てきた話。今回は、神戸学院大学教授が刑事告発して検察が着手した事件。共通性はないのです。でも、大きな派閥の権力集団ができて、神の手が働いたことは間違いない。経済分野では、有名なアダム・スミスの「国富論」の中で「神の見えざる手」という言い方がされたけど、政治の世界にもそういうものがあるのでしょうか。

 上の写真は、香港に行く途中、静岡県上空の機内から見えた富士山。下の方は、リムジンバスで成田空港からの帰りに横浜ベイブリッジ付近で見た富士山。