つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

裏金問題から、即「派閥悪論」はおかしい

 自民党の派閥が開くパーティーで裏金が生じ、一部の議員がそれを私のものとしていたことが問題になりました。裏金の私服化は確かに政治資金規正法に触れる罪ですから言外。だからと言って検察当局が派閥の存在まで問題視しているとは思われません。ですから、岸田首相が派閥自体を止めてしまうという結論に達したのは過剰な反応で、無茶苦茶です。なんであんなに短絡的、馬鹿単純なんでしょうか。派閥がなくなれば政治と金の問題がなくなるわけでないし、利権の構造がなくなってしまうわけではないのです。

 3人寄れば、取りあえず2対1に分かれるように、人間が多数集まれば、必ずグループが生まれます。政党という枠組みがあれば、それで十分ではないかという人もいるでしょうが、それでは不十分。国会議員400人近くを抱えている自民党であれば、微妙に主張する政策も違うであろうし、同じ意見を持った議員が政党全体の方針になるよう徒党を組んで圧力をかけなければなりません。政策実現には議員の多数が必要。それにはその意見集約を図るための政策集団が必要です。

 岸田氏はなんで派閥即悪と考えるのでしょうか。どうして派閥の資金パーティー裏金問題から派閥の悪論、解消論に発展するのか。直接関係ないんじゃないのと思います。派閥というのは一定の政策で意見集約を図るほか、国会議員としての人材育成、議員間の情報交換、選挙協力とさまざまな面でメリットがあるように思います。われわれから見ると、逆に派閥があるためのデメリットって何かと聞きたくなるほどです。

 確かに、首相からすれば、組閣するときに、各派閥のリーダーから「この人をぜひ入れてくれ」などと圧力がかかることはうっとうしいと思います。本当は専門的な知識を持ち、政策に通じた有能な議員だけで組閣するのがいいのかも知れません。でも、それだと一定の人間が長く一定のポストに就くことはなってしまう恐れがあります。長期の権力は必ず腐敗を生むという格言からすれば、そういう事態は感心しません。役所のトップは適当に交代があって然るべきで、その順番を付けるのが派閥のリーダーだと思います。

 昔の中選挙区制度の下では、自民党は各選挙区に派閥が独自候補を立て、それで党内候補同士で切磋琢磨してきました。つまり党内党の争い。これが自民党を活性化させてきました。派閥は次期リーダーとなるべき人がトップに座り、議員数を増やすことで政権を近づけてきました。小生はそういう中選挙区制の方がいいと思いますが、現行制度の下ではそれはかなわない。

 ただ、一つ言えることは、派閥を持たなかった菅義偉氏が結局短命で終わったのは、周囲に熱心に支えようとする人がいなかったからだと思います。そういう意味で、派閥は政策集団というより騎馬戦の上に乗った人を支える人たちかも知れません。世間の評価では石破茂という議員が大きな人気を得ていますが、国会内では彼を支えようとする動きはない。石破派はすでに解消されているのです。その意味では、今でも派閥の力学は有効に作用されていると思います。

 岸田、二階、安倍派が派閥解消を決めたとか。それは当たり前です。岸田派(宏池会)は岸田のあと当面首相になり得る人がいない。ナンバー2の林芳正氏(官房長官)は保守派から嫌われています。派閥力学的に言っても岸田のあとにまた岸田派からは選ばれないでしょう。二階は自身が老齢でもう政界に野心はないし、同派にも次期トップをうかがう人材はいない。武田元総務相が二階のあとを引き継ぐのでしょうが、世間的に知られていない。

 安倍派は5人の幹部が並立の実力であり、所詮呉越同舟で方向性が定まらない。5人衆にとって、特にトップに野心を持つ人、萩生田、西村氏などは心底では自分中心の新派閥を作るためにもいったん今の派閥を壊した方がいいと思っていることでしょう。現時点では、岸田が安倍氏亡き後も数の面で安倍派を頼りにしているから、5人衆は同一派閥を続けているのであって、岸田が首相を辞したら、バラバラになる運命です。

 茂木派が派閥解消に否定的なのは、茂木自身が次期トップになるべく野心を持っているからです。麻生派も麻生自身にまだ権力中枢への色気があるほかに、派内に河野太郎という次期トップを狙う人材も抱えているのでまだ派閥の必要性を感じていることでしょう。小生思うに、何も他派閥が解散するからといって横並びになる必要はない。正々堂々と派閥活動を進めていって欲しいと思います。その方が自民党、日本の政界にとってハッピーです。

 上の写真は、台北駅をバックにした一枚。