つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

松本清張推理小説は動機重視がいい

さっきまで、ビートたけし主演、松本清張原作のテレビドラマ「点と線」を見ていました。機関車のある列車、聖徳太子の千円札、チャンネル回転式のテレビ、ビッグノーズの路線バスなど、昭和30年代の風景を再現していて、懐かしさを覚えました。
話題の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」もこの時代を背景にしていますが、最近は、出版ものも含めて、われわれ団塊の世代がちょうど小学生のころだったこの時代を意識した作品(リメークも含めて)が多いように思えます。
あの当時、機関車は当たり前の乗り物で、機関車に乗ってトンネルに近づくと、親父が「窓を閉めろ」と怒鳴っていたのを思い出します。今では、マクドナルドで100円程度で買えるようなソフトクリームも高級品で、母親に連れられて街に出たとき、何度母に「食べたいよ」とせがんだことでしょうか。ほかに、あんみつとか、みつ豆とかも懐かしい響きがあります。懐かしさというのもある種の感動なんでしょうね。
この「点と線」はアリバイ工作の重要部分として、列車の代わりに飛行機を使っていたというものでしたが、現在の推理小説でしたら、こんなプロットは成り立たないでしょう。航空機は今、陸路以上に普通の乗り物であるからです。その点では、時代を経た今ではちょっとなじめない推理ものだと思います。
松本清張の同じ傑作でも「ゼロの焦点」や「砂の器」のように、殺人の動機をテーマに据えたものがありますが、こうした動機重視の方が現代的であるように感じられます。人間の愛憎や羞恥という感情は普遍であるからです。清張には「西郷札」「或る小倉日記伝」など非推理の短編傑作小説もありますが、やはり推理小説に軍配を上げたいですね。

下の写真は、夕方撮った我が家からの富士山です。本当は三脚を使って開放にすればいいのですが、手持ちで撮ったから、明かりにぶれがあります。悪しからず。