つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

IS支配地の若者は難民にならず、戦うべきだ

 今日の新聞の外電面を見ていたら、チェコのゼマン大統領が「欧州に来る難民の大多数は若くて健康な若者だ。シリアやイラクの若者は海外に逃げないで、国内でイスラミックステート(IS)と戦うべきだ」と主張したとのことです。小生も前にこの種の意見をブログで書きましたが、至極当然の感想だと思います。ただこれまで、意外にもこんなことを大胆に言う人がいなかったので、ゼマン大統領に拍手を送りたいと思います。
 自分の住んでいるところがならず者に占拠された、戦場になったからと言って、そこを逃げ出すのでは一向に問題の解決になりません。そればかりか、むしろそういう野蛮勢力を勇気づけるだけでしょう。もし、ISの支配地域がシリア、イラクだけでなく、全中東、さらには欧州にも及んだとしたら、そこの住民はどこに逃げ出せるというのでしょうか。難民になって逃げだすことなどありえないことです。
 小生が担当している某私大の国際関係論の授業で、かつて「日本が侵略、他国に支配されそうになったら、君らはどうする?」と聞いたところ、「まず、米軍に戦ってもらう」との答え。「それでも支配されたら?」と聞くと、「日本を逃げ出す」と答えたのです。あきれてものが言えなくなりました。自国のことでもあくまで自分の手を使わないという態度なのです。
 こんな反応を示す学生が多いのは、小中学校、高校の「戦争絶対反対」などと叫ぶどうしょうもない教条主義的教師(あるいは侵略者の回し者)の教えを受けた結果でしょうか。戦争は絶対悪ではありません。防衛的な戦争は絶対善です。でないと、専守防衛を言う自衛隊の存在すら否定しなくてはならなくなります。専守防衛とは祖国を守る戦争のことですから。
 小生は、昔見たイタリア映画「祖国はだれのものぞ」という映画が今でも強烈な記憶として頭の中に残っています。自国のファシズム政権が倒れた後、ドイツに占領されたイタリア南部の住民がドイツ占領軍に対し、武器を持って立ち上がるというレジスタンス、パルチザンのストーリーでしたが、自分が生まれ、育まれた地が侵略者に蹂躙されるのであれば、それに抵抗するのは自然の感情であり、当然の行為でしょう。
 「戦争論」を書いたクラウゼビッツは「血を流すことを厭う者は必ず侵略者に征服される」と言っています。抵抗する姿勢を見せることが、侵略者の意思をくじくことです。弱気の態度からは何も生まれません。


 上の写真は、香港での飲茶レストランの風景。われわれは3人だけだし、小生は大メシが食えないので、頼んだ品数は少ないものでした。