つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

駅前の土地は「愛」より価値あるのか

 最近、テレビではつまらないコマーシャルが多いけど、久しぶりに面白いものを見ました。自転車に乗った女性が小学生と思しき長瀬智也に向かって「時代が変わっても、価値が変わらないものってなーんだ?」と質問する。それに、長瀬は 「そりゃ愛だろ」、一緒にいた女の生徒も「愛だと思います!と得意げに答える 。ところが、自転車の女性は「変わらないのは駅前の土地だから」と答えて「ジャーね」と言いつつ去っていくのです。最後に、 長瀬が「じゃあ、愛ってなんなんだよ…」と自問するのも面白い。

 これは不動産屋さんのコマーシャルですが、「愛」という精神的な概念と「駅前の土地」という即物的な価値を絡ませているのがとても新鮮に感じられました。内容について敢えて感想を言わせていただければ、駅前の土地といっても場所によって価値は変わります。首都圏では基本的に駅前の土地は、時代の変遷に合わせてそれなりの評価を受けるでしょう。それに比べて、田舎の駅前は今、シャッター通りになっており、幹線道路わきの物件よりは相対的に価値を下げていると思います。

 一番価値が安定しているのが首都圏の都心から1時間以内の駅前、しかも私鉄よりJRの駅前です。価値が変わらないどころか、むしろ購入時より価値が大幅に上がる場合もあります。駅前と言えば、普通は商業物件を指しますが、住宅を見ても、駅から徒歩10分以内の物件なら申し分なし。一戸建てばかりでなく、マンションであっても価値は下がらないと思います。

 当方のことを言うのは口幅ったいですが、我がマンションは横浜のJR桜木町駅から7分程度のところ、しかも真ん前は横浜中央図書館、野毛山公園の緑という、駅近くにしては比較的好条件のところにあるので、価値は購入時より上がっています。ですから、さまざまな不動産取り扱い業者から「売らないか」というチラシが舞い込んできます。でも住んでいる以上、他に移れないので、売る気はさらさらなし。したがって、物件の価値は関係ありません。

 一方、長瀬が言う「愛」は不変なのかという点。「愛」は、祖国愛、郷土愛、家族愛、夫婦愛などと比較的エターナルなものが多く、大きく裏切られない限り、価値は変わらないと思います。ただ、男女間の「愛」というのは曲者で、これは「愛」というより、「恋愛」のうちの「恋」の方に近いものでしょう。「恋」はかなり瞬間的な、刹那的な感情に左右されやすく、したがって激しくなることもあるが、冷めやすい”難点”もあります。

 スタンダールの「恋愛論」の中に結晶作用、クリスタライゼーションという言葉が出てきます。小生は高校の時に英語の先生から副読本として「恋愛論」を読まされて、この言葉が強く印象に残っています。要は、男女間の感情は、まさに固まりやすいが、壊れやすいこということです。しかも「恋」は、ロメオとジュリエットの関係に見られるように状況的に困難がある場合にさらに燃え上がる傾向にあります。

 コマーシャルで長瀬が男女間の「恋」のことを言っているのなら、不変なものとは言い切れません。祖国愛とか家族愛とかをイメージしているのであれば、その通りです。こういう「愛」は普段は感情の中で表面化せず、激しく感じることもないのですが、ひとたび祖国や家族を侵す存在が現れたら、激化することもあります。という意味で、「恋」より「愛」の方が価値が高いのかも知れません。ただ、駅前の土地との比較ではどうだか分かりませんが、、。(笑)

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 上の写真は、横浜・福富町にある朝鮮焼き肉店の店頭の飾り。小生の大好きなデコレーションです。